「新空港は関西に」が合言葉

関空の開港の記事です。下記著書より抜粋しました。

{参考本}
海からの出発「関西新空港」
著者:日刊工業新聞
発行:にっかん書房

 

関西新空港の建設計画は「ポスト万国博最大のプロジェクト」「今世紀最後の大型プロジェクト」とも称され、早くから地元・関西の財界が熱い視線を送ってきた。七〇年、大阪・千里丘陵で開催された日本万国博の成功は、経済界の「新空港フィーバー」に火をつける大きな契機となった。

世界の七十七力国が参加、史上初めてという規模で開催されたこの万国博は、日本経済の繁栄ぶりを内外に強くアピールするものであった。同時に三月十四日から九月十三日までの会期中に会場を訪れた観客は実に六千四百万人。多くの人たちは出展国のパビリオンやイベントを通し、国際交流のすばらしさに目を見張り、自ずから国際交流の必要性を知った。そして本格的な国際化時代が、ついそこまで来ていることを身をもって感じたに違いない。 新しい国際空港を求める経済界の動きが一段と高まったのも無理からぬことである。国際空港は経済繁栄と国際化の象徴的存在と考えられたのである。伊丹空港での航空機騒音など環境問題が大きく取り上げられるなか、新空港の誘致、建設にあたっては「海上に立地を求めるべきだ」とする考え方も共通の認識となっていた。 六八年から運輸省が、淡路島、泉州沖、神戸沖、播磨灘など八ヵ所の候補地を対象に調査を開始していたこともあり、地元での誘致競争もエスカレートしていった。

万国博熱がいまださめやらぬ七〇年十月、大阪、神戸の財界、経済団体が中心となって「関西新国際空港推進協議会」(推進協)を組織した。建設候補地をめぐる地元間の競争を避け、「関西地域に新空港を誘致する」というのが同協議会結成の合言葉であった。つまり、「関西地域」へ新空港を誘致することを第一義とし、それ以上の具体的な建設候補地は技術的、専門的な立場から航空審議会など公的機関の選定にゆだねようというものであった。

同協議会には関西経済連合会、大阪商工会議所、関西経営者協会、関西経済同友会、大阪工業会、神戸商工会議所、神戸経済同友会、兵庫県経営者協会の八団体が参加、代表理事には芦原義重関西経済連合会会長、佐伯勇大阪商工会議所会頭、砂野仁神戸商工会議所会頭のE人が就任している。

この協議会結成の背景にあった第一の点は、万国博の開催地決定に際し、大阪、兵庫、滋賀の三府県が激しい誘致合戦を繰り広げたことへの強い反省である。二つには地元・関西の経済界が一本にまとまり、関西新空港の早期実現に向け取り組んでいく強い姿勢を中央にアピールしていくことであった。いま一つ、新空港は「請願空港」にはしたくないという経済界の意思が働いていたことも確かである。これは伊丹空港の拡張にあたり、経済界が用地買収や移転補償交渉といった仕事まで引き受けざるを得なくなった結果として、いまだに「伊丹は請願空港」と呼ばれてきていることへの強い警戒心があったといえる。